今日の出来事

ちょっと前に瞑想のことを書いてみたのだけど、書いてみると知らないことが多かったので調べてみようと思った。

結局瞑想ってなに?

やっぱりそこがず〜っと引っかかっていた。

で本を読んでみた「J・クリシュナムルティ」の書いた本だった。

この著者はインド人でかなりのイケメンだった。もう亡くなっているけど。

観るをキーワードに挙げていた。

ただただ、観察する。

感情をコントールしたりとかは全くせずに観ることから入る。

感情をコントロールすることは、つまりは抵抗する事になる。抵抗することを何年か繰り返すこことで、何か得られるのだろうか?

と書いてあった。

結構難しいけど、自分なりに解釈するところ、瞑想の何を求めるかでまずは方法が変わってくる。クリシュナは何を目的にしていたかは…おそらく自由だとか、解放みたいなことだと思った。(ニュアンスはわかるんだけど書けない。この辺りは読んでもらうしかない)

それには真なる自分を(アートマン)を観るしかない。

なぜそんな感情が湧くのかなぜそう考えるのかただただ観る事がまずは大切であると言っているように感じた。

仏教に観音菩薩があるが、別名「観自在菩薩」ともいうらしい(この辺りは僕も詳しくは無いので間違っていたらごめんなさい。)

この菩薩は読んで字の如く自在に観る事ができる。

どんなものを見ても、感情は動かずに、ただただ観る事ができる仏様という事だがその感情もなく見ている存在こそが真我(アートマン)だと教えていると感じた。

そして、瞑想とはアートマンを感じることのできる。手段である。

そこには、呼吸法も姿勢も決まりはなく、ましてや訓練や儀式ではないと書いていた。

つまり、今までやっていたことはどうも違うようである。

もちろん、感情をコントールするとかビジネスに役立てるとかなら、やり方は決まっていいてもいいのだろうけど…

最近の瞑想の研究で(欧米の研究だけど)

瞑想をすると、より利己的な振る舞いをする人が一定数いることが紹介されていた。これも、目的が違うと結果も異なるし、手段も異なると言うことでしょうか?

終わりを描くことの大切さがここでもあるんだなと思いました。

ブッタも瞑想で悟ったそうですが、何を悟ったのでしょうか?

話がそれましたが、瞑想が何のためにあるのか?ではなくてなんのために瞑想をするのか?を瞑想して考えました。

その結果

結構驚いたというか、自己肯定感を高めるとか言いますけど、自分の場合は肯定感ではなくて否定を恐れていることが何となくわかりました。

ちなみに、暗くした部屋で坐禅は組んでいます。(やっぱり姿勢が整わないとしっくりきません。)

湧いてくる感情を抑えるのではなく、ただその感情を眺めました。なぜか負の感情も冷静に観る事ができたのは不思議な経験でした。

そうすると、自己の重要感とか肯定感への欲求はあまり無いことがわかりました。それよりも、他人から必要とされないことへの恐怖とかがありました。

多分これが自身の誰からも好かれたいと思う八方美人の気に通づるのかのと思いました。多分重要感とか肯定感は特定のコミュニティである程度満たされれば満足する。充足する部分はあると思います。

最近の疲れの要因はこれかと、非常に腑に落ちました。

ただ、どうすればいいのかわかりませんが…もう少し足掻いていみます。

投稿者: 吉原 タツヤ

現在娘二人のパパとして奮闘できる様に修行中 さいたま市在住のアラフォー,お年頃のため色々なガジェットが気になってしまう。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。